教室のご案内
主任教授挨拶・教室の沿革
主任教授からのメッセージ
日本大学医学部視覚科学系眼科学分野の主任教授の山上聡です。令和5年から日本角膜学会の理事長も拝命しておりますが、 やはり仕事の中心は日本大学眼科の教育・研究・臨床です。そこで現在の日本大学医学部視覚科学系眼科学分野の活動状況について概要を述べます。
まず診療としては、日本大学医学部附属板橋病院眼科を基幹病院(専門医11名 専修医13名)とし、 10名の眼科専門医と6名の専修医を擁する日本大学病院眼科を最大の関連病院として、それ以外にも8つの関連病院に専門医を派遣し地域医療にも大きく貢献しています。 基幹病院の日本大学医学部附属板橋病院眼科は、角膜、結膜、サージカル網膜、メディカル網膜、涙道、緑内障、眼瞼、ぶどう膜炎、神経眼科などの専門医が眼科領域の疾患を広くカバーしており、 充実した指導医の構成となっています。日本大学病院眼科は、中静裕之教授のもとサージカル網膜、森隆三郎診療教授のもとメディカル網膜の専門病院として最適な治療法を選択しながら診療を行っています。 両病院とも最新の手術機器と検査機器を備えており、日本大学医学部附属板橋病院眼科と日本大学病院眼科で年間手術件数は合計で5000件を越え、 23区内の大学病院で最高件数レベルに達しており、高いactivityを維持しております。
日本大学の眼科学分野では、研究を奨励しています。米国のように眼科研究者と眼科臨床医が別々に活動しているのとは違い、 我が国のように実際に眼科臨床に触れている眼科医が眼科研究を行うことの意義は大きいと考えています。 また大学でしかできない研究もあり、リサーチマインドを持つ臨床医を育成していくことも大学病院として重要な責務と考えています。 大学での研究を通して、すべての医局員が一般眼科以外に一つ専門分野を持ち、高いレベルの議論ができるようになれば臨床医として理想的であろうと考えています。
現在の研究分野は、角膜と細胞外小胞、デスメ膜内皮移植の臨床研究、AIを用いた研究、網膜の循環、糖尿病網膜症の基礎研究、網膜の新治療法開発、 アレルギー性結膜炎、術後感染予防、網膜の画像診断法の研究などを基礎と臨床の両面からのアプローチで8名の大学院生を中心に行っています。 毎月2-3人の大学院生からの研究報告、論文アクセプト報告を板橋病院・日本大学病院合同でwebを使って行っています。 研究は、あたらしい知見を世界に発信するのみならず、今後臨床医として日進月歩の医学の最新知識を吸収する際のデータの見方、考え方を含めた研究成果の正しい解釈の方法を学ぶ時間でもあります。 現在は研究もすすみ、2023年度は、日本大学眼科から共同研究を含めて30篇が公表されています。
日本大学眼科では、豊富な臨床症例に裏付けられた臨床とリサーチマインドを重視した研究の両面から医局員の教育に力を入れています。 今後も医局員の臨床レベルの向上を図りながら研究成果の公表も積極的に行い、優秀な人材を育成していきたいと考えておりますので何卒よろしくお願い申し上げます。
教室の沿革
- 大正14年3月に本学部の前身である日本大学専門部医学科が創立されて間もない昭和2年に、眼科が駿河台病院に開設され、初代教授として廣田敏夫(東京帝大 大正元年卒)が就任しました。
- 昭和10年に板橋病院が開院し専門部医学科も現在の板橋キャンパスに移転した後、昭和13年に第2代教授として中川順一(東京帝大 昭和2年卒)が就任し、昭和20年まで、眼科診療、医局員の指導、学生教育を行いました。
- その間、昭和17年には専門部医学科から医学部(旧制)昇格後、第3代主任教授として国友昇(東京帝大 昭和6年卒)が昭和21年に就任し、昭和48年定年退任まで、結膜疾患を中心として臨床、研修を指導し、昭和39年の第68回日本眼科学会総会を主宰しました。
- 国友教授の後任として北野周作(東大 昭和24年卒)が就任し、昭和55年からは第5代主任教授として角膜疾患を中心に診療研究を行い、平成元年には第93回日本眼科学会総会を主宰しました。
- 北野教授退任後の平成4年に現在の第7代主任教授の澤 充(東大 昭和48年卒)が就任し、日本大学医学部附属板橋病院病院長も務めました(平成17年~23年)。また平成21年には第113回日本眼科学会総会を主宰しました。
- 昭和38年の駿河台病院改築に伴い眼科部長として加藤 謙(慶大 昭和13年卒)が就任し、眼底疾患を中心に診療研究を開始し、医局員の指導を行い、現在の駿河台病院眼科の礎を創るとともに、国友教授退任後、第4代主任教授を務め、日本眼科学会理事長として日本の眼科の発展に寄与しました。また、昭和50年には第29回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。
- 加藤教授退任後、松井瑞夫(慶大 昭和29年卒)が教授に就任、我が国における網膜硝子体手術の先駆的役割を果たし、第6代主任教授を歴任するとともに、駿河台病院長を勤めました。また、平成5年から7年に日本眼科学会理事長を務め、平成6年には第48回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。
- 平成15年には湯澤美都子(日大 昭和50年卒)が教授に就任し、澤教授退任後の平成25年に第8代主任教授に就任しました。黄斑疾患を専門に診療研究を行い、平成23年には第65回日本臨床眼科学会総会を主宰しました。
- 平成28年には湯澤教授退任後に山上 聡(金沢大 昭和63年卒)が第9代主任教授に就任し、角膜移植手術、角膜研究を中心に指導を行っています。
- 練馬光が丘病院は平成3年の病院開設に伴い﨑元 卓(長崎大 昭和38年卒)が眼科部長となり、平成14年から加島陽二(日大 昭和57年卒)、平成22年7月から山崎芳夫(日大 昭和55年卒)が眼科科長として医局員の指導を行いました。
- 当教室は、長年に渡り、板橋病院眼科と駿河台病院(現日本大学病院)眼科が切磋琢磨し、専門領域に特色を持って我が国の眼科臨床と研究の中核として発展してきました。後期研修では板橋病院、駿河台病院の特色を活かした眼科全般を研修できる態勢をとっています。2病院間では、卒後研修や関連病院での医局員人事の相互交流が活発に行われ、また、専門外来の運営についても、共同作業が行われています。